筋膜リリースのトリムリターンに関連した情報

中卒、学歴なしエステティシャンが語る。人生の道しるべ。

まだまだ日本は学歴を重視される世の中ですね。平成27年度の高校中退者人数は約4万人。中退理由も様々なようです。現実高校中退者って、現実就職や資格を取る時に不利になる事、壁にぶつかることって沢山あると思います。

だけど、想いがあればどんな職にもつけると、私は思います。

私がそうだったから。中卒、学歴なし!だけどエステという仕事に出会ってエステティシャンを目指した。そんな私のエステティシャン人生21年間。元ヤン、中卒、中退の皆さんの何かやりたい事、目指すもののきかっけにして頂ければ嬉しいです。

中卒のクソガキ・・・エステに入るまで。

学校は嫌いです。

なんで中卒?と聞かれる事があります。なぜ・・・勢いで中卒になった訳ではありません。そもそも高校に行くことすら考えてなかった。やりたい事もなかった。毎日その日の楽しい事しか考えてなかった。学校なんて嫌いでした。

とても厳しい中学校だったので、みーんな同じ髪型に同じ制服で、同じ色の靴履いて、同じ色のジャージ着て、ちょっと違う感じになると先生に怒られる。そんな毎日が嫌で、中学2年まではほとんど行ってませんでした。

行っても保健室に行くか、教室にいると教科の先生達からは凄く嫌がられていたので、帰れと言われたら途中で帰る。両親の離婚もあり親が仕事でいないのを良い事に、家を出ては友達と遊ぶ。

きっと今考えると先生という立場の人が嫌いだったんです。大人が嫌いだった。

衝撃の担任

私の人生の中で、ホントに頭の上がらない人。中学3年生の頃の担任の先生。今思えばこんなに想ってくれる先生ってこの人だけでした。常に生徒側に立って考えてくれて、守ってもらってた感じです。

絶対部活制の中学だったので、先生の顧問の吹奏楽部に強制加入。帰ろうとしても逃げられない。追いかけてくる。家まで迎えに来る。しつけーなーこのおっさん。って思ってましたが、時間と共に良い奴やん、から頼れる先生に私の中でランクアップしていました。

衝撃を受けた日、髪を染めようと何日も前から友達とオキシドールかぶって、急に朝起きたら金髪になってた日。その日は絶対来いよ。と言われていたのでその金髪のまま学校へ。少し遅れて行ったので見つからないように教室へ。

すると教科担任から、でていけ~~~と。せっかく来たのに・・・。なんやその色。朝起きたらこの色やった。

でていけ~~~~2度と来るな~~~。今だったら大問題ですよね。

帰って暫くすると。ピーンポーン。誰!?とインターフォンをみると、担任の先生やんか~~。「黒染め買ってきたけん。」はっ??・・・とりあえず玄関あけたら、先生が「髪染める準備しろ。」って今?!私のオキシドールかぶった努力が水の泡。

どうやら先生は、私が帰った後、教科担任から注意されたようで、黒染め買ってきて染めてやろう。って思ったらしく。

先生ありがとね。っと言った私に、「これで明日からいろんな先生に文句言われんでよかろーが。」っと。

この時に若干15歳の私は衝撃を受けました。そこまでするか・・・・。

悪い友達・良い友達

中学時代から仲が良い友達・悪友でもあり。心友でもあります。一緒に良い事も悪い事もやってきてたけど、普通のお家で育つ友達を羨ましくも、どこかで壁を勝手に作っていました。

みんなが学校に行ってる時は、暇な時間を潰す為によその中学校の人と遊ぶ。いわゆる悪い友達。悪い事を教えてくれる友達と先輩。悪い事を一緒にする友達と先輩。どんどんエスカレートしていく自分が怖くもあり、目の前のスリルと恐怖と自由という感情に振り回されて、いつ捕まってもいいや、いつ死んでもいいやって想っていました。

だけど、度を過ぎていくと止めてくれるのはいつも心友。だから今でも繋がってるんだろうなと思います。

進路決めようか

私のような頭悪い組は、なかなか大変で。成績表の評価が、評定不可の私に行ける高校なんてあるの?そもそも母子家庭で育ってるので、高校に行くお金出すなら違う事に使った方がよくね?と思っていました。別に高校なんて行く気もないし。

おまえ、将来なんになりたい?って先生の問いに。私、美容師か安室菜美恵になりたい!!今考えるとアホやな~って思いますが当時は本気でした。安室菜美恵になれるかもしれん学校があるとよ。マジ~。単純です。

けどこれは先生の策略で、高校に進学させる為の手段。とりあえず行ける高校をピックアップして学校見学に行く。

家の事情も知っていたので公立高校で行ける所を探してくれました。乗り気じゃない私を連れ学校見学に。

そこはいわゆる、ヤンキー学校。校舎から覗いていたイケメンヤンキーに手を振りながら。先生、私ここの学校がいい。

そうイケメンヤンキーがいたから・・・即却下されましたが。結局選んだ高校は心友と同じ学校に入学することがきまりました。

高校生活 約3カ月からのエステに入る。

無事に義務教育を卒業して、高校入学出来ましたが約3カ月で中退。辞めてすぐお金が欲しかったので、年を誤魔化して飲み屋にバイトに行きました。お金はいっぱいもらえるし、ただで飲める。お客さんからは物も買ってもらえるし、毎日朝まで飲んで、なんにも不自由なく日々を暮らしていました。

ホントは美容師になることが夢でしたが、中卒の私には専門学校に行く資格はありません。

そんなフラフラしている私に母が、エステの仕事してみないかと。はぁ~エステとか行くわけねーじゃん。いろんな理由づけでとりあえずバイトでっということで入りました。最初はささっと辞めて飲み屋にもどろ~って思っていました。

当時のそこのエステは、まつ毛パーマやワックス脱毛がありそのお手伝いとして働くことになりましたが・・・・好きで選んだ仕事ではなかったので、毎日が苦痛の連続でした。早く辞めたかった。

若干17歳。学歴もなく、社会も知らない、常識もない、敬語も使えない。友達はみんな学校に行ってる。けど自分どうなん?って考えると、今与えられたエステという仕事をこなして行くしかないんだっと。

嫌になる時は店長に黙って夜飲み屋でバイトしながら、エステの仕事に行く日々。

技術もなかなか上達しない私に厳しく技術指導はもちろん、一般的なマナーとか、メイクの仕方とか・・・髪の毛の色とか、もちろん言葉づかいなども教えて頂きました。

バイトが社員として雇って頂けることになりますが。すぐに、技術に入れるわけではありません。なかなか技術を覚えない私に凄く怒られたのを覚えています。

とにかく厳しかった。サロンの裏で何度も悔しくて泣きました。

フェイシャル、ボディの技術に入れるようになった頃には楽しさを少し感じていました。

人生の第1ターニングポイント

思い返せば、中学の担任に出会えたのも、中卒なのも、学歴が無いのも、心友に出会えたのも。悪い事ひと通りしてきた事も、親の離婚も飲み屋で年誤魔化して働いてたのも、嫌で入ったエステも。今の自分をつくりあげた第1ターニングポイントと思っています。

もし私がその逆の人生を生きてたら。今の自分にも、サロンのお客様にも。受講生にも。家族にも。今まで関わって頂いた方達にも。そう考えると今の自分も捨てたもんじゃないなって思いませんか?

どんな状況でも、きっと支えてくれる仲間がいて、見守ってくれてる人が必ずいるはずです。

2年前位に担任の先生にかなり久しぶりに会う事ができました。

いや~まともになって、立派になってホントよかったよ。あの時はもう無理かな~って思ってたんよ。懐かし話しを笑って話しながら、先生のお陰よっと・・・こうやって今も先生に会いに行ける事に感謝です。

人生のターニングポイントって必ず誰にでもあるとおもいます。その瞬間を、これだ!と思って気づけるか、掴めるか。

今はわからなくても、後でわかる事もあると思います。もしかすると、ターニングポイントをもう掴んでるかもしれませんね。

読んで頂きありがとうございました。